Whereabouts; by G.D.M.T.

2017
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グッド・バイ


昔聴いたラジオドラマにね、星が消えてしまう話がありました。
その消えた星が、何十年もたってから、また現れるっていう話。

見えてなくても、どっかに、ちゃんと、いたんですね。
いるものは、どんな事したって、いるんです。
いいじゃないですか。どっかに隠れている時期があったって。

死んだら星になる、って言うでしょう?
あれ、どうも信じられなくてね。
だって、僕、自然科学の人だから。 子どもの時から図鑑とか見てたから、
死んだら星になる、って言う大人を「バカだなぁ」なんてみていてね。

でも、歳をとったいまなら、わかる。

ほんとに、そうだったら・・・ 星になって、みててくれたら・・・ 
救われる部分も、あるよね。


「 夜空の星に 祈りを捧ぐ
  その娘のやさしい 瞳のなかに
  喜びの涙が あふれていた 」


信じようって、何度もそう思おうとしたんだけど、
無理だったんだよね。

一樹は、手品みたいに消えてしまった。

この世から、パッと、跡形もなく消えちまったんだ。( 木皿泉「 昨夜のカレー、明日のパン 」第2話より )




-The Second Star To The Right-



右から2番めに かがやく星
あなたのねがいを かなえる星
右から2番めの ちいさな星
夢のネバーランドへ みちびくでしょう

トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター
空のかなた わたしの道を やさしく教えて

夢がかなえば 夜空をみあげ
そっと 「ありがとう」と ささやくでしょう ( 訳詞・海野洋司 )


http://www.youtube.com/watch?v=fCD5sij3evM








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母が、12月27日の未明に亡くなりました。



12月中旬、発熱と息苦しさを訴えたため、かかりつけの病院へ連れて行ったところ、
そのまま秋口以来の再入院となってしまったものの、病状がさほど深刻だったというわけでもなく、
心肺機能にもともと問題を抱えていたことに加え、前回の入院からそんなに日が経ってもいなかったので、
もう一度詳しい検査もかねて、念のため病院で安静を・・・という程度のものでした。

結果、検査の数値も特段悪くはなく、その後、体調のほうも順調に回復に向かっておりまして、
クリスマスには一度、一泊で一時帰宅してみていて、その際も特に問題らしい問題は起こらなかったので、
これならばほどなく退院でき、年末年始は家族一緒に我が家ですごすことができるだろうということで、
母もそれを愉しみにしながら、病院に戻った矢先・・・ 深夜、日付が変わる頃の急逝でした。

なにしろ、前日まで普通に笑って、普通に会話もしていて、
こんなふうに突然《亡くなる》ということが、まったく頭になかったものですから、
気持ちの整理をつけることが、うまくできずにいます。

ウチは父がおりませんので、母が亡くなった瞬間から、僕が喪主として葬儀から法事関連の取り仕切りや、
死亡にまつわる煩雑な手続きの数々など、母の生存を抹消してゆく作業を淡々とこなしてきたわけで、
そういう意味では、身内の誰よりも《母の死》をしっかりと認識し、受け入れているつもりではいながら、
頭の隅のほうに、「どこか遠くの病院に転院したかなにかで、いまここにいないだけなんだ・・・」と
子供じみた暗示をかけようとしている、大人げないもうひとりの自分が棲みついていることも否定できません。








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冒頭のドラマの台詞みたいに、母が星になって見守ってくれているのなら、そりゃあウレシいけれど、
いまはまだ、そんな風にさえ、器用に頭を切り替えて考えられないのでした。

ただ、いつか心からそう思えるときがきたら、
それがちいさくかすかな光でも、僕はその星をみつけることができるでしょう。


どんな曇り空のなかでさえも、きっと。


( 2015年1月9日 二七日(ふたなのか) 記 )




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-A House Is Not A Home-



椅子は ずっと ただ椅子のまま
そこに 誰も 座らなくなったとしても
部屋は ずっと ただ部屋のまま
そこは 空っぽで 悲しみしかなかったとしても

でも 家は それらとは違う
家は ただ家の姿であるだけでは “我が家”にはなれない

そこに 大切な人が いなければ
わたしとあなたが 離ればなれになってしまったならば

不意に あなたの名前を 呼んでみる
すると あなたの顔が 浮かんでくる
だけど それは ただ 空しい涙を 戯れにのこすだけ

愛する人よ 
もう一度 この家を “我が家”にしてほしい

わたしが 階段をかけあがり 鍵をあけたとき
どうか、 どうか そこにいて 
 
わたしを 愛したときの あなたのままで そこに


http://www.youtube.com/watch?v=tepgE1dYmsM








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突然かつ大きな喪失感を抱いているのはハグもおなじで、
母が亡くなってからしばらく、妙に落ち着かなくなってしまいました。


病院から遺体を一度自宅に戻し、一晩だけ自室で過ごさせた翌朝、
納棺のために葬儀場へと運ばれる母を、親族たちと並んで行儀良くオスワリして見送ったハグ。

その夜から、母とよく遊んでいた一番のお気に入りの仔犬のぬいぐるみを口にくわえ、
リビングと母の部屋のあいだを、クンクンいいながら何度もウロウロといったりきたりし、
普段は、鳴いたり吼えたりということがほぼ皆無なイヌなのに、
天を仰ぎながら、悲痛な声色での遠吠えをしはじめたのです。








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そして、母の葬儀が終わった夜に、不思議なことがありました。


四十九日の納骨までのあいだ、母の遺骨を安置するため、火葬場から自宅へと持ち帰ったのですが、
母の部屋に組んだ祭壇に骨壺を置くと、ハグがチョコンとその前に座り、
骨壺をしばらくじいっと眺めていたあと、なにかを眼で追うようにしながら母のベッドにあがって、
そこに身を横たわらせると、まるで誰かから頭を撫でられたときにするみたいに、
やさしく眼を細めた表情や、妙に甘えた仕草をして、ほどなく安心しきった様子で寝息をたて、
ぐっすりと、本当に何日かぶりにみる深い眠りに落ちました。

もしかしたら、そのとき母は、ハグの傍に帰ってきてくれて、
ハグに寄り添いながら、声をかけ、やさしく慰めてくれたのかもしれない・・・・

そう考えたら、なんだかとてもホッとして、ウレシくなって、
それまで気持ちが張りつめていたせいか、ずっと睡眠らしい睡眠がとれずにいた僕も、
その晩だけは、朝まで泥のように眠り込んでしまいました。








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いまはだいぶ、以前のような朗らかさが戻りつつありますが、
それでも散歩から帰ると、ハグは真っ先にリビングへ走っていき、母の定位置だったソファに目をやって、
誰も座っていないのを確認すると、そのままとぼとぼと母の部屋に向かい、しばらくそこで時をすごします。


ねえ、ハグ。
母の具合が悪いときには、いつもベッドの傍で心配そうに見守っていてくれたよね。


ありがとう。 おりこうさん。


いつも明るく「おかえり」って迎えてくれた、母の声。 
もういちどだけでいいから、お前にきかせてあげたいよ。


( 2015年1月27日 月命日 記 )




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-君のために-



もう少しだけ このまま
僕の腕のなか 眠っていて

カーテンの隙間から 差しこむ光が
君を 連れ去る前に

君の口唇が ためいきにかわいて
その瞳に 僕が映らなくなって
僕の言葉 その心触れられなくなって

悪い夢から覚めて 抱きしめ合えないのか
なにも なかったように

平行線のまま 何度も日が暮れて
君が選んだ道を 受け止められずに
時の おわりが くるよ

君のために 僕は 少し涙こぼし
切なさを 憶えた

僕はほんとうは ずっと淋しかった
この瞬間に 君もそうだったと わかるのさ 


http://www.youtube.com/watch?v=0C2x9Hc7G9k








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母は、「苦労人」という言葉そのものだったひとでした。


長いこと、家庭や家族の特別な事情に苦しんできて、それからようやく解放されたかと思うと程なく、
今度は自らの身に、生涯に渡り縁が切れなくなってしまった厄介な疾患をいくつも抱え込むこととなり、
そのせいで、これまで自分がどんなに辛い状況のときにでも凛と胸を張り、誇りを持って勤めあげてきた、
母にとって一番の心の支えであったろう看護師の仕事さえ続けられなくなってしまい、
以降、幾度となく手術や入退院をくり返してきたのでした。








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「このまま母の意識が戻らなかったら・・・」とか、「検査の結果がもの凄く悪いものだったら・・・」など、
生命の危うさを按じつつ、ただただ回復を祈った局面が、これまで何度もありました。

でもその度に、置かれた状況を気丈に乗り越え、子供たちに笑顔を向け続けてくれた母。

なので、今回のように入院こそしていたものの、さしたる深刻度はなく、退院もすぐ間近に控えており、
前日までくだらない話題で、いつもみたいに笑いあっていた状態だった母が、
あまりにも突然、あっけないくらいにふっとこの世を去り、
二度と眼を覚ましてくれなくなるだなんて、微塵も考えていなかったのでした。








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“寿命はここまでだった”という《ゴール》を、こうして眼前に突きつけられると、
してあげたかったこと、してあげられなかったことへの後悔はもちろんのこと、
これまで自分が“母のために”と思いながらしてきたつもりだったことさえも、
単なる自己満足ではなかったのか?と、疑わしく思えてきてしまいます。


たとえば、日常生活における不安が顕在化しはじめたのを、母がしきりと口にするようになってから、
当時東京で生活をしていた僕は、年に数回だった帰省の頻度を、月いちから週一、週二・・・と
徐々に増やしていって、やがて母と一緒に暮らしはじめ、生活のサポートをするようになり、
務めていた会社を離れ、独りで始めた仕事が順調に軌道に乗ってきていたこともあって、
自らの居を完全に故郷へと移し、予々つくりたいと考えていた仕事場を兼ねながら、
母の要望を随所に取り入れ、将来車いすを手放せぬ生活になったときにも快適に暮らしやすく、
母を看る側も、そのストレスが少しでも緩和されるような利便性をもった
バリアフリーに対応した家を建て、母をそこへ迎えたこと。


それが、いまの僕が母にたいしてできる恩返しのひとつのつもりでいましたし、
もちろん、母もそのことをとても喜んでくれておりましたが、
なにかにつけ、こちらへの遠慮や、あたらしい環境にたいする戸惑いがあるのも、ひしひしと感じていて、
その都度、「ほんとうに、これでよかったのか?」「いや、先々のことを考えればこれが最良なんだ!」と、
切りのない自問自答を繰り返してきた、というのが偽らざる気持ちでした。








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結局、その新しい家で母とともに暮らせたのは、ほんの4年とちょっとになってしまったわけで、
こんなことなら、不便は多かったにせよ、長年慣れ親しみ、勝手が十二分にわかっていた
母自身の持ち家をどうにか工夫して、そのままそこで最期まですごさせてあげられたほうが
母にとっては、もっとずっと幸せだったのではないか・・・








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ここしばらく、幾晩もかけてHDDのなかに突っ込みっ放しだった膨大な数の写真画像をひとつひとつ開き、
母のことを撮った写真を整理していたところ、母の持ち家でのなんでもないようなスナップにばかり、
いかにも生き生きとした表情や姿をたたえた母がたくさん写っている気がして、
過ぎた日々への言葉にできないほどの懐かしさと愛おしさを憶えつつ、
押し寄せてくる後悔の波に呑まれて、がっくりと落ち込んでもしまいました。








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生業と兼任していた母のサポート(看護や介護、介助といった言葉は、母の前で極力使わないようにしていました)という、
僕にとってのもうひとつの大きな仕事を、母の死により、一夜にして強制解雇されてしまったいま、
なにをどう考えても、ただただ堂々巡りにしかならぬばかりの毎日です。


( 2015年1月30日 五七日(いつなのか) 記 )




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-Here, There And Everywhere-



ここで 
日々を すごしてゆく
あのひとの 愛おしい手が 求める通りに 
わたしの生き方は 変わってゆく

ほかの誰かが 打ち消そうとしても
それは そのまま そこに ありつづけるでしょう

あそこで 
髪や手が 触れあうほど 近くで
流れてゆく時間を ふたりして 憩う

ほかの誰かが なにか 話しかけてきても 
気づかぬくらい むつまじく

いつだって どこでだって 
わたしはただ あのひとに そばにいてほしい
あのひとが そばにいてくれるだけで わたしは 安らぐ
わたしには 愛するあのひとが どんなときも 必要なのです

愛とは 
分かち合うものであることを 覚え
愛とは 
決して死なないことを 信じながら
いつも あのひとの 瞳をみつめ 
わたしが そのなかにあることを ただそれだけを 願う

いつだって わたしは あなたのそばにいます
ここでも、 そこでも、 どんなところでも


http://www.youtube.com/watch?v=XVf4i_VtMRk








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新しい家に引っ越して間もなく、当時生後2ヶ月にも満たなかったハグを家族として迎えました。


僕が生まれてからずっと、実家にはイヌがいる生活でしたが、
最後に飼ったイヌの亡くし方が、とてもつらく、哀しいものであったため、
以来、イヌとまた一緒に暮らしたいという気持ちが湧いてきても、
「今度新しいイヌを迎えるのは、自分自身でしっかりと環境の整った新居を構えたとき」と
心に決めて、想いを打ち消し続けてきたのでした。








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ハグを家族にすることを、もちろん動物好きだった母も賛成していながら、
歴代のイヌたちは、みな外飼いであり、母のなかでのイヌとヒトとのスタンスは、
“そういうもの”という認識が根強く、僕が幼いハグを室内で育てていることに良い顔をしてはいませんでした。

それでも、鎖につながず、おなじ居住空間で暮らしてみなければ発見できない
イヌの多様な生態や表情の豊かさを、とても興味深く、また微笑ましげに観察しているふうでもあり、
2Fにいる僕に「いま、ハグがおもしろいことしてるから、そっとおりてきてみてごらんよ」なんてメールを、
リビングからちょくちょく送りつけてきたりしていたものです。








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ハグが生後4ヶ月をすぎた頃、《 3.11 》東日本大震災が突然やってきました。


そのとき、僕はいつも通り2Fの仕事場にいて、震度6という瞬時に身の危険を感じるほどの激しい揺れにより、
棚から床に崩れ落ちて、部屋中にばらまかれた大量の本やCD、飛散した硝子の花器などを飛び越え、
階下の様子を確認するためにリビングへと急ぐと、母はソファの前で背中を丸め、しゃがみこんでいましたが、
サークルに入れておいたはずのハグの姿が、どこにも見当たりません。

「大丈夫? 怪我はない?! ・・・ ねえ、ハグは? ハグはどこにいる?!?!」
そう慌てながら母にたずねると、母は自分のいるソファの下をそっと指差しました。
そこには、落ち着かなそうに視線を左右に動かしながら、怯えてちいさく震えているハグが・・・

母は、巨大地震に驚き、サークルから逃げ出してパニックになっていたハグを抱えて、
自分の足元に避難させ、やさしく声をかけながら護ってくれていたのでした。








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それから、リビングでの母の定位置だったソファの下は、ハグがもっとも安心できる《居場所》になりました。
その後も長いあいだ、頻繁に続いた大きな余震の際はもちろんのこと、
自分が不安なとき、不都合なことがあったとき、ひとりになりたいとき・・・などなど、
なにかにつけ、ハグがスッと身を隠して逃げ込む先は、いつもきまって其処(=母の足元)だったのでした。








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そして、母とハグの親密度は、どんどんと高まってゆきました。

母は、自分の考えを180度転換し、ハグを成犬になっても、そのまま室内で暮らさせることに快く同意してくれ、
それどころか、ちょっとの時間、ハグをひとりで家に留守番させているだけでも、
「きっと淋しがってるから、はやく家に帰ってあげなきゃ。。。」なんて外出先でソワソワしだす始末。

さらには、自分のかかりつけの病院の医師や看護師、待合室で隣り合わせになった他の患者さん、
出先で話友達になってくれた方々・・・とにかく逢う人逢う人に、ハグがどれだけ賢いイヌかを熱心に語りながら、
ケータイの待ち受けにしていたハグの写真を、さも自慢げに見せてみたりなど、
こちらが呆れるほどの溺愛っぷりを発揮しておりました。








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「郵便屋さん、お願いね」(=モッテコイやオイテコイ)

「いい子はどうするんだっけ?」(=オスワリしてマテ)

「ピコピコ聞きたいな」(=オモチャを噛んで音を鳴らす)

「お手、ください」(=オテ)・・・


リビングにしょっちゅう響いていた、そんな言葉たち。

母は母なりの、かなり独特なコマンドをハグに教えていて、ハグもよくそれらを覚え、嬉しそうに従っていました。

ちゃんとできると、「ちょっとだけ、ちょっとだけね」といいながら、キリがないほどトリーツを与えつつ、
母が眼を細めながらハグにかける褒め言葉は、『ヨシ』や『イイコ』ではなく、『ありがとう』でした。








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ハグもハグで、そんな母のことが、大好きで大好きでたまりません。
外出先から僕と母が一緒に家へ戻ると、僕よりも母の足元のほうにまず戯れついてゆくし、
つまらないことが原因で、2人がついつい口喧嘩みたいな感じになれば、
明らかに母の肩を持つような哀しい顔で僕を見つめながら、仲裁に入ってきたり。

母の具合が悪いときには、寝ているベッドの端に頭を乗せて、心配げに様子を覗きこみ、
歩行器で室内を移動している際も、「今日は、どうも足の運びがあまりよくないなぁ・・・」なんて
思ってみてると、ハグにもそれがちゃんとわかるようで、母の後ろについて歩いて見守ってくれて。

母とハグとは、こちらがちょっと妬けてしまうくらいに、いい関係を築いていました。








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母は、新居に自分が身を置くことになった当初の“寄る辺なさ”のようなものを、
おなじように、まだ家に慣れていなかったハグに重ねていたように、僕には感じられていました。

ハグも、もしかしたら、そうだったのかもしれません。








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でも、そうやってハグと毎日むつまじく接しながら、日々をすごしているうちに、
母のあたらしい暮らしは、ゆっくりと《日常》に変わってゆき、
新居を誰かに説明するとき「ここは、息子の家」、僕には「ここは、あなたの家」なんて口にしていたのが、
ある頃から段々と、「わたしの家」と云ってくれるようになりました。

照れくさくって、言葉で伝えたことはなかったけれど、僕はそれが、とても嬉しかったのでした。



そんな、ひだまりのようにおだやかだった時間。



「もう一度」と願っても、二度とは戻らない、戻れない日々。








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すっかり大きく成長したので、さすがにもう躯が半分ほどしか入らないけれど、
ハグはいまもときおり、母が不在となったソファの下に、そうっと潜りこみます。
その顔は、なんだかどこか、淋しそうにみえます。


イヌは、言葉をしゃべりません。 
だから、こちらがその気持ちを察してあげなくてはならない。


ソファの下にいるときのハグは、きっと姿がみえなくなった母を恋うているのでしょう。
そして、瞳の先にあるドアの向こう側から、不意に母が帰ってくるのを、じっと待っているような気がします。


「おかえり」と、大きく尻尾をふって、愛するひとを迎える準備をしながら。


( 2015年2月6日 六七日(むなのか) 記 )




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-家族の風景-



キッチンには ハイライトと ウイスキーグラス
どこにでもあるような 家族の風景

7時には帰っておいでと フライパンマザー
どこにでもあるような 家族の風景

友達のようでいて 他人のように遠い
愛しい距離が ここにはいつも あるよ

なにを見つめてきて なにと別れたんだろう
語ることもなく そっと 笑うんだよ


http://www.dailymotion.com/video/x1if86








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四十九日の法要と納骨も滞りなく終え、少しずつ母の遺品の整理をはじめたところ、
小さな和箪笥のなかから、一冊の真新しい詩集がでてきました。








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母は、新聞に毎日くまなく目を通しており、また実用書や専門書など、
その時々の自分に必要な書物は、折りにふれて僕に頼んだり、一緒に買いに行ったりしていて、
本や活字自体には、日常的に親しんでいる人ではありましたし、
たとえば、“花言葉”だとか、“今日はなんの日か?”などといった「知識的」なことには、
随分と詳しかったものの、詩のような・・・なんというか「精神的」なものに興味がある素振りは、
いままでまったくと云っていいくらい見せていなかったので、かなり意外であり、
一体いつの間に買っていたのだろう?というのも不思議でした。









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その詩集は、一時期よくメディアなどでも“90歳からの詩人”として紹介されていた
柴田トヨさんが書かれた『 くじけないで 』というもので、
仏壇に断りを入れたあと、ゆっくりと本を開いてみると、
そこに挟んであった一筆箋から、母の妹にあたる叔母が、母が亡くなるちょうど一年前に、
クリスマスプレゼントとして母に贈ってくれたものだとわかりました。

そして、その本のいくつかのページには、付箋や手製の栞がつけられていて、
どうやらそれらが、いまの自分自身や、亡き祖母の姿を重ねあわせて共感/共鳴できた、
母のお気に入りの詩であっただろうことが想像でき、
なんだかフッと、そこから母の声が聴こえてきたような気がしたのでした。


いくつかの詩を、備忘録として、この場所に記させてください。



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「 幸せ 」

今日は
看護師さんにお風呂に
入れてもらいました

倅の風邪がなおって
二人でカレーを
食べました

嫁が歯医者に
連れて行って
くれました

なんて幸せな
日の連続でしょう

手鏡のなかの私が
輝いています



「 こおろぎ 」

深夜 コタツに入って
詩を書き始めた

 私 ほんとうは

と 一行書いて
涙があふれた

何処かで
こおろぎが鳴いている
泣く人 遊んであげない
コロコロ鳴いている
こおろぎコロスケ

明日もおいでね
明日は笑顔で
待ってるよ



「 倅 」

何か
つれえことがあったら
母ちゃんを 思い出せ

誰かに
あたっちゃあ だめだ
あとで 自分が
嫌になる

ほら 見てみなせ
窓辺に
陽がさしてきたよ
鳥が 啼いてるよ

元気だせ 元気だせ
鳥が 啼いてるよ
聞こえるか 健一

あんたは 健一
やさしくて短気な
たった一人の倅

なんでも まだまだ
わかっているよ

さあさあ 行った行った
自分の仕事を
しておくれ



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“二人でカレーを”・・・

そういえば、よく一緒に食べたよね、カレー。
ハグには、玉ねぎを抜いた野菜を使って、牛スジと一緒に煮込んだポトフにしてあげてさ。


納骨が済んで、もう毎日の野膳を用意する必要もなくなったし、
今夜は久しぶりに、カレーでもつくろうかな。








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心配しなくて、大丈夫。

僕はもう、ちゃんと元気だから。




『くじけないで』は、2013年の暮れに、八千草薫さん主演で映画化もされているようです。
もう少し身辺が落ち着いた頃に、ゆっくり観てみようと思っています。


( 2015年2月27日 月命日 記 )




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-SEASCAPE-



左へカーヴを曲がると 光る海がみえてくる
僕は思う この瞬間は続くと
いつまでも

美しさ ポケットのなかで 魔法をかけて
心から やさしさだけが あふれてくるね

くだらないこと ばかりを 喋りたい

ほんとうは 思ってる
心にいつか 安らぐときはくるか?と

ほんとうは 分かってる
二度と戻らない 美しい日にいると( 小沢健二「 美しさ 」より )


http://www.youtube.com/watch?v=-5m5Lva3yeY








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ここしばらく、音楽があまり耳にも頭にも入ってこなかったのですが、
ビル・エヴァンスの『 I Will Say Goodbye 』というアルバムだけは、よく聴いていました。


晩年のエヴァンスの音楽というと、どうも感傷的すぎる感じが僕にはしてしまって、
これまで、どちらかといえば敬遠していたほうだったのですけれども、
いまの自分自身の心持ちには、不思議としっくり来るところがあり、
それは、音像自体がそうであったということのみならず、
このアルバムが、エヴァンスが近親者を相次いで亡くした時期に録音されたものだという背景を、
あらかじめ知っていたから・・・であるのかもしれません。


ことに、『 SEASCAPE 』という曲の持つ“純化された美しさ”が深く心に響いてきて、
何度もリピートしながら、ぼんやりとジャケットを眺めていたら、
なんだか無性に海を見にいきたくなってしまい、ハグを傍らに乗せ、地元の海岸まで車を走らせました。








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子供の頃から毎年必ず数回は訪れているその海へと車で向かう途中には、
ちょうど『 I Will Say Goodbye 』のジャケット画のような雰囲気の坂道があって、
それを登りきると、眼の前にぱあっと海が広がる瞬間は、いまでも童心にかえったように胸が躍ります。








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たくさんのカモメが飛び交う漁港付近の露店で販売している「いいだこ焼」と「蒸しウニ」が、母の好物でした。
一昨年までは、海水浴のシーズンが過ぎ、人の空いている時期に、決まって食べに連れていっていたのに、
去年は僕の骨折があったため、結局訪れることができず仕舞いで、
そのままもう、2度と食べさせてあげることは叶わなくなってしまった。


それが“哀しい”とか“寂しい”とかという感情が湧きあがってくる以前に、
まだどうにもぼんやりと合点がいかずにいる・・・というのが正直な心情なのです。








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海を見下ろす駐車場に車を停め、人影の疎らな広い砂浜をハグと一緒に延々と歩きながら、
日が暮れる頃まで、ゆっくり時をすごしました。








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このところ、元気のなかったハグと「なにも考えず、ただひたすら遊ぼう!」と、
毎日の散歩に、ボール以外はなにも手にしていかなかった日のほうが多かったため、
カメラを持ち出したのも久しぶりのことで、普段のような撮影テンポには到底至れませんでしたが、
それでも、その場からただ立ち去ることを躊躇し、無心でシャッターを切った数だけ、
自分の眼前にひろがる世界や時間、視える事物を《肯定》しているように思えたのでした。








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海岸を駆け回ったハグは、家に帰ってすぐに、ぐっすりと眠り込んでしまったものの、
寝ながら前足と後足を激しく動かし続け、夢のなかでもまだ懸命に走っているかのようでした。


ひょっとしたら、あのやさしく愛おしい呼び声のするほうへと向かって。


( 2015年3月27日 月命日 記 )




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-God Be With You Till We Meet Again-



そっと閉じた本に 続きがあるなら
まだ なんにも書かれていないページがあるだけ

もう泣かない もう泣かない

いまはひとり みてる夜空
あの星屑 あの輝き
はかない約束

手をのばして いま 心にしまおう
明日は あたらしい わたしがはじまる


きっと この街なら どこかですれ違う
そんなときは 笑いながら 逢えたらいいのに ( 平原綾香「 明日 」より )


http://www.youtube.com/watch?v=ibiV9sFM7Uc








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辺り一面に桜が咲き誇るなか、ごく身内だけで母の卒哭忌(百か日)を終えました。
奇しくも、当日は祖母・・・つまり、母の母の立ち日でもありました。








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“卒哭忌”とは年忌法要のひとつなのですが、没後100日も経つので、
これ以降はもう、文字通り故人のために声をあげて哭くのを卒(お)え、
前を向いて生きてゆくべき頃合いである、という意味がこめられているのだそうです。

母の急逝以来、生活空間のあちこちに残されたままな生前の日常の痕跡だったり、
ベッドの周りや引き出しのなか、ちょっとしたモノの隙間などから不意に現れ、
母本人がこれからも自分の《生》が続いてゆくつもりでいたことを静かに語りかけてくる
退院後の予定が綴られた手帳とか、チラシの裏に書かれた年末年始の買い物リストやメモ類、
中途のままの裁縫仕事、最初のほうのページに栞紐が挟まれている真新しい本、几帳面にとってあるレシート・・・
そんなものたちを発見するたびに胸が詰まり、涙腺があっけなく緩んでしまうものの、
哀しみであれ、喜びであれ、普段から表立って激しく感情をあらわすのが下手で、
最終的に、なんでも自分の内面へモヤモヤと溜め込んでしまいがちな性格である僕は、
様々な決めごとや手続きにひたすら追われる喪主という立場でもあって、
ほかの近親者たちのように、嘆き悲しむ気持ちを潜めず、
外に向かってストレートに吐き出すということを、今日の今日まで終ぞしないできてしまいました。

なので、『今日からは卒哭すべし』などと云われたところで、正直ピンときませんし、
母を悼んで、僕がほんとうに大きな声をあげて哭くことができる瞬間は、
多分もっと後に、ある日突然やってくるような気がしています。








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ただ、この100日間のなかでハッキリと思い知ったことは、
“あれをしていればよかった”とか、“こうしてあげたかった”とか、どんなに考えあぐねたところで、
もうなにひとつそれらが叶うことはないのだという、しごく当り前の《現実》です。
負の念が堂々巡りに渦巻くだけで、気持ちを前に進ませる足枷にしかならぬ、そうした底無し沼みたいな感傷は、
真摯に死を憶い、故人を偲ぶ気持ちと、ぐちゃぐちゃに混ざりあってしまいがちだけれど、
強い意志を以て、明確に切り離さなくてはならない。

まずは、そこからはじめるべきなのでしょう。








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数日前、敬虔なクリスチャンである知人が、
『 God Be With You Till We Meet Again 』という賛美歌を、僕に教えてくれました。

また、《 グッド・バイ=Good-bye 》とは、その“God be with you(ye)”を縮めたものであり、
大切な者との別れに際し「(また逢う日まで)神があなたのそばで、共にありますように 」として捧げる祈り、なのだとも。

http://www.youtube.com/watch?v=GZHrtHdbdOE








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僕自身は、特定の神(=宗教の絶対的創造主)への信心を持っていない立場なので、
ここで歌われているところの《神》がどうこうという話は別にして、
容態の変化があまりにも急すぎたため、最期の瞬間を家族の誰にも看取られることがかなわず、
たった独りでこの世から去っていかねばならなかった母の傍らに、
なにか大きな存在が寄り添ってくれている(寄り添ってくれていた)のだとしたら・・・
それだけでも、心が救われる気がしました。

そして、母にたいし、まだとても『 さよなら 』という言葉を告げられそうにない不肖の息子である僕も、
そういう意味合いでの『 グッド・バイ 』なら云えるかな、云ってもいいかな・・・と素直に思えたのでした。








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あたたかな春風を通そうと、冬の間じゅう閉め切っていた母の部屋の窓を大きく開けました。
眼の前には、母の好きだったムスカリやハナニラの花がたくさん咲いています。

もう1ヶ月もすると、その向こうに広がる田んぼには、たっぷりと水が入り、忙しく田植えの作業がはじまります。

のどかな農村部で生まれ育った母が、一年じゅうでもっとも愛した季節です。








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梅雨どきにはきっと、雨の降ったあとの空に、大きな虹の橋がかかるでしょう。

ハグと僕は、その下の農道をまっすぐに駈け抜けてゆきます。


あたらしく巡る季節に向かって。 



夏を、迎えに。








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親愛なる母へ。



100日間にわたる長い長い独り言のおわりに、言い尽くせぬ感謝と万感の想いをこめて。



グッド・バイ。 また逢う日まで。


( 2015年4月5日 百か日 記 )






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