Whereabouts; by G.D.M.T.

2017
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グッド・バイ  -ふたたびの冬の日に-


一樹が、この家からいなくなるのが、どうしても納得いかなくてさ、
納骨する前に、ひとつだけ、一樹の骨をもらったの。

あたしの気持ちは、一生変わらない、って思ってた。
変わるときは、一樹を裏切るときだって。

でも、いまは、違うのかなあって思ってる。

〈手放す〉っていうのはさ、裏切ることじゃないよ。

〈生きるほうを選ぶ〉って、ことだよ。


「 夢でもし逢えたら 素敵なことね
  あなたに逢えるまで 眠りつづけたい 」


たとえば、あの星から地球を見ると、
いろんなひとの傷が、開いたり、閉じたりするのがみえるのかな。

それぞれのリズムで、息をするみたいに、
閉じたり、開いたりしていて。


ねえ、一樹には、どんなふうにみえているの?( 木皿泉「 昨夜のカレー、明日のパン 」第4話より )






-Smile-



微笑んでごらん こころが痛むときにも
笑ってごらん どんなに傷ついたときでさえも
空が暗く 曇り出したとしても 

君なら きっと 
哀しみや不安を 乗り越えられるだろう
笑ってみるんだ そしたら 明日は
燦々と光はなつ太陽が 顔を出す 君のためにね

ほら 
喜びで その顔を照らして  
哀しみの痕なんか みんな隠してしまうんだ
ひと粒の涙が きみのそばにいつまでも
断ち切れぬまま あったとしても 

さあ 
そんなときこそ 微笑みを絶やさないように
泣いていたって どうにもならないだろう
もし 君がいつも 微笑みを忘れさえしなければ
人生は 悪くないんだって 
きっと きっとそう 気づけるはずだから


http://www.youtube.com/watch?v=4hGffWBDkcg









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『 ひとは突然、ほんとうに突然、死んでしまったりするのだ 』


それが、僕が母から最期の最期に、その身をもって教えられた〈たいせつなこと〉でした。









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その日の夕方、自宅での年越しにむけて退院をすぐ間近に控えていた母の病室で、
帰り際、いつものように「 ぢゃあ、また明日ね 」と手をふった僕は(もちろん、母のほうも)、
ごくあたりまえの《生》がそのまま、次の日にだってごくあたりまえに続いてゆくことを微塵も疑わずにいたのに、
深夜、当直の看護師さんが各病室を見回る、ほんの一時間の空白のあいだに起きていた心停止という不測の事態によって、
なにもかもが、あっけないほどいきなり、その終わりを告げました。









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( 昨年の11月末、ハグと母との最後の外食となった行きつけのドッグカフェにて )



もともと、身体に大きな疾病をいくつも抱えていた母でしたから、
たとえばこの先10年、いや5年のスタンスで考えたときにさえ、はたしてずっと元気で暮らしてくれているだろうか?といえば、
そうはならない可能性のほうが圧倒的に高く、そのうえで、家族としてどう母と向き合い、
いまを、そしてこれからを、どのようにサポートしてゆくか、ゆけるのかを、僕はずっと考えながら暮らしてきました。

複合的な理由から完治が見込めまま、身体(とくに呼吸器系の)機能の低下を、なるべく遅らせるしか術のない現状から鑑みて、
やがて訪れる〈別れ〉は、この先どんどんリアルさを増したものになってゆくにちがいなく、
どんなにそれを望まずとも、〈そのとき〉を受け容れる覚悟と心積もりを徐々にしてゆかねばならないのは解っていましたが、
その時点では、とくに差し当たっての重篤な問題もなく、むしろ、明日にも家へ戻れる許可が出ていたくらいの状態だったわけで、
にもかかわらず、よもやこんなタイミングで母が急逝するなどということは、ただのこれっぽっちも、頭に掠めてさえいなかったのです。









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( 昨年のクリスマス、亡くなる2日前、母が病院から一時帰宅していた日の夕景 )



一緒に日々を暮らしてきた大切な存在との〈死別〉にたいし、なんらかの選択の余地も、
いわゆる危篤状態という心を抗わさせてくれるほんの「いとま」さえ、なにひとつ与えてもらうことが叶わずに、
あまりにも唐突に、呼吸をまったくしていない“遺体”となってしまっていた・・・

そんな衝撃的な現実だけを眼の前へぽんと放り出されても、心はまったくそれについてゆけず、
それでも〈喪主〉という立場は、そのための準備や予備知識の有無にかかわらず、
母の死亡が医師によって確定されたその瞬間から、自分が担う以外にはなく、
つねに凛とした姿を崩さなかった母に恥じぬよう、次々に慌ただしく訪れる法事関連一切の取り仕切りや、
死亡にまつわる煩雑な手続き等を、どんなに頭のなかが真っ白であろうと、とにかく滞りなくこなさねばという一心で、
自分自身の気持ちや感情がつい高ぶりそうになるのを、どこか騙し騙し、ぼんやりと鈍らせるようにしながら日々を過ごしていると、
まるでアウトフォーカスのファインダー像を覗きこんでいるような、なんとも焦点の定まらない世界のなかで、
“母はなぜ、いまここにいないんだろう”という気持ちが胸の奥のほうから湧きあがってくる都度、
その『不在の淋しさ』が瞬時にビー玉のように固まって、無数に、累々と、足元にただ冷たく転がり続けるだけで、
それらが結びついて、あるいは溶け合ったうえで、昇華されるべき『喪失の哀しみ』というステージにまで、
なかなか立ち至れず、ずうっとおなじところで足踏みしていたような気がします。









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でも、この一年、四季の折々で感じ続けてきた〈いることがあたりまえのいのちが、不在であること〉への非日常的な違和感は、
時間がひと巡りした今日このときからはもう、現実として〈不在であることのほうが、むしろあたりまえ〉になってくるのです。


だから、一周忌をむかえたいま、まだ気持ちのどこかで名残惜しくつないだままでいる手を、
今度こそほんとうに、ちゃんと放さなければいけないと思っています。









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『離す』のではなく、『放す』。 そっと、祈りにのせて。 



ずっと微笑んだままの母の遺影に、僕も精一杯の笑顔を還しながら。



( 2015年12月27日 一周忌 満月の夜に記す )









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宇宙の片隅に
とても純朴な星がありました
地球のように
そこには
海や川や草木があって
とうぜん 人間みたいな人もいましたが
地球と違って
人は寿命が一日ほどしかありません
朝 陽が出る頃に生まれた人は
翌朝 陽が出る前にはみんな死んでしまいます
久し振りだね
というのは
この星ではほんの数十分のことです
半日も会わないと
もう顔も忘れるほどになってしまいます
ですから
この星の人たちは
大切な人と出会ったら手をつなぎます
手をつないだまま仕事をし
手をつないだまま本を読み
手をつないだまま食事をします
そして
死ぬときにやっと手を放します
「ずっと手をつないでくれてありがとう」
それがこの星でのお別れの言葉です

夜中 外に出て
空を見上げていると
なつかしい声がひびいてきます

暗い空から
「ズット手ヲツナイデクレテアリガトウ」

ずっと手を
つないでいてあげられなかった僕に ( 高階杞一『 純朴な星 』より )



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開設以来ずっと、ブログに私生活はなるべく持ち込まない主義(爆)で続けてきたのですが、
さすがにこの一年は、そうできませんでしたぁぁ〜〜 (;´∀`)

母についてこうして書き記す、という行為によって、自分自身のこころの折り合いのつけ方を模索しながら、
少しでも客観的になって気持ちの整理をしてゆければ・・・という極私的な動機づけからではあったものの、
聴かされても後味の悪さしか残さないであろう独り言を、幾度もくり返しつづけてきてしまったことを、ここに深くお詫びしつつ、
それでも丁寧に読んでいただけた方、亡き母にやさしい気持ちを寄せてくださった皆さまに、あらためて心より感謝いたします。

来年は、もうなるべく湿っぽくならないようにぃぃ・・・(爆)
しかしながら、いつものモヤモヤしたトーンマナーはそのままに(ちょ・・違いがよくわからんけどもっ!(ぷっ))、
自分なりのペースで、のんびりとこの場所を続けてゆきたいと思っております。


今年も、一年間の感謝を込めて。 



LOVE & PEACE.





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